咲-Saki-SS『親愛なるカペラ』

 こーこちゃんがうちに遊びに来るときは、決まっていたずらも一緒に連れてくるから、だから私はいつも、彼女の車に乗せてもらって、遠出をする。運転してもらってばかりで悪いよなんて、もう言わない。年下の彼女はいつだって楽しそうだけれど、私をいじったりするときは、特に楽しそうに見える。正直、困る。
 だから彼女の助手席は、私のものになった。

 巷では、小鍛治健夜に足りないのは結婚相手だけだ、なんて、褒め言葉なのかわからないことを言われてる。
 実際に会って話す人たちからは、幼い顔立ちをしているとよく言われる。そのおかげなのか、年齢についての余計なお世話を受けることはほとんどないけれど、見た目なんて問題視しない私のお母さんは、もういい歳なんだから結婚しろと、しきりに言う。
 お母さん曰く、健夜はお金には困らないんだから、老後のためにも家事の得意な若い男の子を捕まえてきなさい。だそうだ。ひどい話だと思う。
 私にだって結婚願望はある。
 それも、年齢的なことを考えて無難な人で妥協するというような即物的な願望ではなく。恋から始まって添い遂げる理想的な願望が、夢物語ではなく、現実的な理想として存在する。
 けれどそれを叶えるのは、なかなか難しい。
 学生時代から麻雀に打ち込んできた私が、日本最強といわれるまでになれたのは、ひとえに、その他に心とらわれるものができなかったからだ。
 おとぎ話の王子様みたいな人を少しは夢見たこともあるけれど、心から好きになれる人は結局、現れなかった。
 私には好きな人なんてできないんだと諦めていた。
 でも違った。夢見たものがそもそも間違っていた。
 私が好きなのは馬車で運ばれる王子様ではなく、馬をあやつり馬車を走らせる、御者だったのだから。

 彼女は麻雀をやらないけれど、シフトレバーを扱う手並みは、熟練者が牌を扱う鮮やかさにも等しい。
「なんか今日機嫌わるい?」
「え、そんなこと、ないよ」
「そう? じゃあそろそろ更年期かなー、いてっ」
 母以外の近しい人の中で、唯一余計なことを言いがちなこの友人が失言をしたとき、私は二の腕をつねるようにしている。運転中だとか、まるで考慮に値しない。
 彼女と遊ぶようになって、もう七年になる。私の年齢もそれだけ重ねられた。
 結婚願望があるなら焦って当然ともいえる年齢になっておきながら、私がそれを感じていないのは、友人である彼女がそばにいてくれることで、満たされているからだ。そう、彼女は私にとって特別な存在だけれど、ただの友人。仕事の縁で結ばれた、親友に過ぎない良縁のひとつだ。
 おくびにも出さないけれど、私は彼女といるとき、恋人以上の気分でいる。
 思うだけなら自由で、それで満足してしまえるから、結婚までは望まない。
 それに、私のこの気持ちはきっと受け入れられないから。
 お泊りをするような関係でありながら、七年も付き合っていて何もなし。脈がないと判断するには十分な期間と事実だった。
 だから私の望みは、できるだけ長くこの時間に浸っていること。
 もしも彼女をお金で買うことができたなら、いったいいくらになることだろう。一生遊んで暮らせるだけのお金を稼いだろうと一部で羨まれている私は、実のところ寄付などでだいぶ使ってしまっているから、そこまでの額は持っていない。
 たとえ体は買えても、心までは足りるかどうか。
「私の顔、なんかついてる?」
 横顔をさりげなく見ていたつもりだったのに、気付かれてしまった。
「運がついてる、ような気がする……」
「いいねそれ。宝くじでも買ってみようかな」
 苦し紛れで言ってしまった今のような言葉も、彼女はそういう意味では不審に思わないだろう。
 普通の人は思いもつかない。そんな気持ちで私は見ているのだから。彼女が気が付くはずがない。
 それならこんな質問をしてみたって、構わないはずだ。
「こーこちゃんは、好きな人とかいるの?」
「また唐突だね。自分よりも先に結婚されるのが怖いとか?」
 いてっ、と彼女はおどけたけれど、
「うん、いるよ」
 運転中だからなのか、よそ見などせずに、穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
「そうなんだ」
 結婚を前提にお付き合いをするなら適齢期と言ってもよく、活躍しているスポーツ選手と結婚する人も多いアナウンサーという仕事柄、出会いの環境的にも悪くない。そんな彼女に好きな人がいたところで、ことさら驚くようなことじゃなかった。
「じゃあ宝くじが当たったら。その人を買うといいんじゃないかな」
 私は動揺しているつもりはなかったけれど、冗談にしても面白くないことを言ってしまった。
「うーん。宝くじ程度の額で、人の心が買えればいいんだけどね。……いや、よくないか?」
 こーこちゃんはいつも通りだった。いつも明るくて何も考えてなさそうで、そのせいで本心がいまひとつ見えない。能天気なだけなのかと思えば、ときどき、妙に気になる顔を見せたりもする。
「いずれにしても私の好きな人は、お金で買えるような人じゃないんだ」
 苦笑まじりに付け加えられた言葉は、彼女がその人のことを、本当に好きなのだろうと感じさせた。
 小鍛治健夜に足りないのは結婚相手だけ。
 それを裏付けるように、私は、記憶にある限りでは本当に久しく、見たこともない誰かに嫉妬していた。
「すこやんはさ」
「なに?」
 焼き餅を引き継いだ返事は、少し不機嫌に聞こえたかもしれない。
「仮に結婚するとしたら、相手はきっと、すごい人なんだろうね」
「そんなこと、ないよ……」
「国内麻雀界の大御所だもん。そこいらの人じゃぜんぜん釣り合わないよ。なかなか現れないわけだよね」
 彼女はその言葉がこれ以上ない自画自賛になっていることに、もちろん気付いてはいない。
 新人の頃と比べて、ずいぶんと偉くなったものだ。

 ひっそりとでも同性婚が認められているこの国にあって、私が彼女を好きでいることは、たとえ誰かに知られたところで後ろめたいことなんて何もない。ただ、珍しいだけだ。
 そう、珍しいだけ。それが一番の問題。
 法律で認められたからといってヒトの生まれが変わるわけじゃない。珍しい――少数派というものは、近くに全く存在しないこともざらであり、また、誰かに言わなくともいつもの生活をする分には困らないという性質のものを、わざわざ言って回るような人となればさらに数は少なくなり、つまりそういった人たちについての事実を目や耳にする機会はどうしたって少なくなってしまう。だから断片的にもたらされる情報は不正確にして偏りがち。
 そんなふうに、ただでさえ長い時間をかけて固められた価値観を変えるのは容易ではなく、今や世界的な人気職業であるプロ雀士を志すことを、運が絡むというだけで頑なに難色を示す人が少なからずいるように、同性間の恋愛は、いつまでも異端扱いだ。
 文化の違う国だったら事情はだいぶ異なるのかもしれないけれど、家族の生まれをいまさら外国にすることなんてできるはずもない。
 私よりも長い年月を生きてきたお母さんは、きっと最期まで古い人であり続けるだろう。
 焦ってはいないものの、煩わしさはある。
 近頃ではお母さんから聞かされる多数派の恋愛観が、前よりもずっと重く感じてしまう。
「私もそろそろ、結婚しなきゃいけないのかな……」
 呟いたのは溜息のような独り言。
 言ってもどうしようもないと、わかっているはずなのに。
「無理にする必要はないと思うけど……誰かいい人、いたりするの?」
「うーん、どうだろ……」
 あなただよ。と言ってしまってもよかったけれど。
 冗談だと受け取られて、笑われるのは癪だった。
「よくわかんないや」
「そっか」
 私はきっと一人で生活できるタイプの人間じゃないから、結婚するならすでに自活している人がいいと思う。
 それと私を好きになってくれる人で、私も好きになれる人がいい。
 福与という姓で、恒子という名の、星のような明るさを持った、女の人がいい。

     ◇

 その日は珍しくこーこちゃんが歩いて遊びに行こうと言い出したから、日頃の運動不足が気になっていた私は、たまにはいいねと了承した。
 歩きだから近場まで、というわけでもなく、電車を使ってわりと遠くまで出た。
 今日の彼女は人の多い場所を好み、私を誘った。気温はやや涼しく、歩くにはちょうどいい風が吹いていた。周りには、暑くないのかな、と思うくらい厚着している人が、ちらほら見受けられた。今日は寒がりが多いのだろうか。温度の感じ方は人それぞれなので、気にしてもしょうがないことだけれど。
 私はこーこちゃんと並んで歩くだけで、手をつないだりはしない。それでもこーこちゃんはいったいどこで学んできたのかエスコートが上手いから、友人以上の関係を感じることができる。錯覚でもいい。彼女がいま隣にいることが、なにより大事なことだった。
 助手席に乗って出かけるときより、いろんなところに寄った。斬新すぎるコーヒーを飲ませる店や、かいだことのないにおいを発するカレーを出す店。ど真ん中にタヌキの顔がデカデカとプリントされたティーシャツを、自信満々の値段で売っている謎のセンスの洋服店など、変なところにばかり連れていかれた。
 変なところばかりなのに。
 こーこちゃんといると楽しかった。
 彼女の笑顔は私にとって、オフの日の幸福そのものだった。

 日が暮れかけた頃に着いたのは海の見える公園で、もう少し暗くなればデートスポットとしては申し分ない雰囲気になるはずの景色だというのに、平日だからか、それとも穴場なのか、周囲は静かで、人はほとんど見られない。
 そんな違和感をどうでもよく思わせてしまうほどに、気持ちのよい潮風が頬を撫でる。
「海なんて久しぶり」
「このあいだ仕事で来たら気に入っちゃってさ。どうしても一緒に来たかったんだ」
 彼女は長い脚を使って一歩一歩、ゆっくりと大股に、海の方へと歩みを進めていく。
 やがて立ち止まると、背中を向けたまま、潮風に言葉を乗せていく。
「気分出るところじゃないと、締めには使えないからさ」
 耳に届く優しい風が、私への言葉だ。
「締めって、今日の?」
「そうだよ。すこやんとの一日デート」
 振り返って微笑む彼女はやっぱりいつも通りで、デートという言葉にはなんら特別な意味はないのだろうと、いささかの落胆を感じさせた。私のためにコースを考えてくれたというのであれば、それはそれで、それだけでも嬉しいことだけれど、今度は別の人を連れて来るんだろうかと考えると、複雑な気分になってしまう。
 そんな思いが心をよぎるようでは、もうそろそろ、彼女との時間も残り少ないのかもしれない。
 それでも今は、少しでも彼女のそばにいたいから、私は彼女との距離を縮める。
「きゃっ」
 何もないところでつまづいてしまった。歩き疲れたことに無自覚だったのかもしれない。ついうっかり、考え事に意識を取られ過ぎてしまったのか。歳のせいで足腰が衰えているだなんてことは……きっとない。
「おっと」
 さすが私よりも若い人。こーこちゃんが受け止めてくれた。彼女の温もりに包まれる。このまま攫って欲しいと思ってしまう。彼女も同じ気持ちでいてくれればいいと、願ってしまう。
 彼女は私のことが好きだろうか。好きだろう。友達として。そうでもなければ、これだけ長く、近しい存在ではいてくれなかったはずだから。いまさら好きだと伝えるなんて、詮無いこと。
 それに、恋愛ばかりが人生ではないのだから、別に私は、今のままでも充分なはずだ。何不自由ないのだから、世間に言わせれば、持ちすぎているぐらいなはずだ。
 彼女はまだ、そばにいてくれる。
 ことさら一般論での幸せを追い求めたところで、特別何かが変わるわけでもないだろうに。
「すこやん、大丈夫?」
 それでもこの温もりは離れがたく、私は体勢を戻すまでに時間を要した。
 無慈悲なことに、この名残惜しい時間は、自分から別れを告げなければならない。
「うん、大丈夫。ありが……」
 そのとき目に入ったのは、悪い予感だった。
 見なければよかったかもしれない。こーこちゃんの服に、まるで後ろめたい目的でもあるかのように、重ねられた服の間に、目立たぬように、小さなマイクが付いていた。
 それ単体では用を成さないはずのマイクが意味を持つとすれば、近くには主となる機材があるはずで。私が周りを気にしだすと、こーこちゃんはバツの悪そうな顔をした。して欲しくない反応だった。
 何かあると確信して注意すると、かすかに光が反射したのがわかった。離れたところにいる人が持っている、大きめのバッグ。注意して見ても普通は気付かないようなサイズのレンズがかろうじて覗いている。ずっと尾行してきたのだろうカメラマンが申し訳なさそうに頭を下げる。格好は違うけれど、その顔をよく見ると今日の記憶の中で似たような印象が刻まれていて、恐らくは気付かれないよう途中で変装を変えてまで尾行してきたんだろう。変装をしていなくても気付かなかったかもしれない。私は彼女を、信頼していたからだ。
 確かにこーこちゃんは、かつてカメラ持参で事前の連絡なしにプライベートを撮影しにきたことがあるぐらい無神経なところがある。けれどそれはあくまで、すぐに気付くことができる、幼稚ないたずらに過ぎなかった。
 だから私は怒りながらもなんやかんやで彼女をゆるしてきたし、そのやりとりを実は、幸せだとも感じていたのだと思う。
 でも今のこれは……。
「こういうことだけは、しない人だって思ってた……」
 二人の時間を彼女が壊した。彼女はタブーを犯してしまった。私の気持ちに、他人を踏み込ませた。
 ゆるせないのはもちろんのこと。それ以上に、悲しかった。
 私はもうその場にいられなかった。走り去らなければならなかった。どうしようもない感情がそうさせた。
 でも彼女はそれを引き留めた。
 背中を向けた私の手首を、彼女はしっかりと握っていた。
「離して、離してよ!」
 離してくれなければ、私はこーこちゃんに危害を加えてしまう。そう思ったときには、すでに彼女の腕には、私の爪痕が付いていた。彼女は一瞬、そのきれいな顔を歪ませた。抑えられない私の感情のように、四本の赤い線がじわじわと浮き出てくる。
 痛いはずだ。それでも彼女は私を離さない。
「ごめん。でも聞いて」
 悪びれもせず、痛がりもせず。
「私こう見えてけっこう臆病でさ。こうやって別の理由でもつけないと、ずっと言えないままになりそうだったから……」
 彼女はバッグから小さな箱を取り出して、私の前で開けた。煌めく宝石の付いた指輪が入っていた。
「健夜さん」
 そして彼女は、聞き慣れない呼び方をして、
「私と、結婚してください」
 初めて見るような緊張した顔。初々しくも真っ直ぐな瞳で、私に求婚……をした。
 言葉も、指輪も、素直には受け取れなかった。カメラがあるから。テレビ的なあれだから。こんな状況で何を言っているんだろう。演出のくせに、と。私はすっかり判断力を失っていて、言葉を発することができなかった。
「すこやんの年俸に比べたら私のなんて、三ヶ月分でも安物になっちゃうけどさ」
 だから私は、彼女を見つめたまま、泣くしかなかった。
「返事はどうでも、せめて、その涙を止める贈り物ぐらいには、なってくれないかな」
 泣きやめるはずがなかった。
 私は溢れ出す感情を呑み込んで、どうにか声を絞り出す。
「本当に、嘘じゃないの……?」
「嘘だったら、私を好きにしてくれていいよ」
「私、怒ったら怖いよ……?」
「きっと本気で怒ったら、次はさっきのぐらいじゃ済まないだろうね。トラウマだって生易しいかも」
 私だって命は惜しいよ、と付け加えて、彼女は優しい顔で、くすりと微笑んだ。
 私が疑ってしまったような不誠実な彼女は、夕闇に溶けて消えていた。
 それでもドッキリ的なものを仕掛けていたことは事実であって、やっぱり少しは腹立たしい気持ちもあったから、私の口は素直に動かなかった。けれど、彼女のプロポーズに、泣き笑いで返すぐらいのことはできた。
 上手く笑えているかどうかはわからない。
「すこやんが笑ってくれた。それは贈り物でなく、私の気持ちへの答えと受け取っていいのかな」
 彼女がする愛の確認に、私はこくんと、小さくうなずいた。
 するとこーこちゃんは私の涙をハンカチで拭いて、
「ずっと憧れてたんだ。でも、私じゃ釣り合わないと思ってて、ずっと言えなかった」
「釣り合わないなんてこと、ないよ。だって、私が好きになった人だもん」
「過大評価かもしれないよ?」
「釣り合わないなら釣り合わないで、頑張って愛してもらおうかな」
「さすが元日本最強。求める愛情もハイレベルだ」
 なんて肩をすくめながら、こーこちゃんはへへっと笑った。
 彼女と見つめあう私は精一杯にっこり笑って、
「大事にしてね」
「うん。おおごとにするね」
「えっ?」

     ◇

 あんな企画に付き合うようなキー局があるとは思わなかったし、もっとこぢんまりした番組だと思っていた。
 元日本最強プロと中堅アナウンサーの結婚に到る一部始終は、全国ネットのゴールデンタイムで、三時間も使って大々的に放送された。二人の時間を隠し撮りされた姿なんて、恥ずかしくて、とても観られたもんじゃなかった。テレビを観て初めて私たちの関係を知ったお母さんの戸惑いはいまだに続いているけれど、焦らずに時間をかけてわかってもらおうと思っている。
 ちなみにあの日の一連の映像は、プロポーズが成功した場合に限り放送されることになっていたそうだ。
「私が断ったら、どうするつもりだったの?」
「それだけ勝算があった、ってほどではないんだけどね。すこやんの歳だったら、舞台を整えるだけでも心が揺れ動いて妥協してくれるかなーなんて、考えがあったりなかったりして……」
 もしかしたら安く見られていたのかもしれない。そう考えるとまた腹が立ってしまうけれど、たぶん彼女は断られたときのことを、何も考えていなかったのではないかと思う。
 彼女は背中を押してくれる事象としてあの企画を使った。もし彼女が怖気づいたりして役を投げ出してしまったなら、その時点で成立しなくなってしまうリスキーな企画だ。それでもあえてそんなリスクの高い手段を選んだのは、仕事をする際の彼女の責任感の強さを、彼女自身がよくわかっていたからだろう。
 いつもの態度の軽さから誤解されがちではあるけれど、こーこちゃんはどちらかといえば、いつでも仕事を忘れない仕事人間だ。向き合い方がやや特殊なのでやっぱり誤解されがちだけど、仕事に対する彼女の姿勢は真面目そのもの。それは彼女が新人だった頃に、隣で解説をしてきた私だからよく知っている。
 彼女は素敵な人だ。
 うまく出来すぎている映像に関して、世間では、予めシナリオが用意されていた白々しい演劇として受け取られることもしばしばで。実際、私が断っておじゃんになる可能性は、他人からすれば十分にあった。
 でも、都合のよいお芝居ほどにうまくいった理由を、私は知っている。今となっては、彼女にもそれだけ愛されているのだという自覚もあるから。
 あの番組は、成立以外はありえなかった。
「ところでまだ爪痕消えないんだけど」
 こーこちゃんの片腕に付いた傷跡はまだまだ薄れない。
「深かったから、治るまでかなりかかりそうだね」
 伸ばしているわけでもないというのに、人の爪とはこれだけ簡単に人の皮膚をえぐるものなのだと驚かされた。
「すこやんに傷物にされちゃった」
「知らない。こーこちゃんが悪いんだからね」
 と言いつつも、見た目も重要視される職業である彼女は目立つ傷に気を遣う必要があり、今の彼女はテレビに出る際、どうにかして目立たないよう苦心している。仕事に差し支えるという点で、さすがにちょっとは悪かったなとは思ってる。
「まあでも、すこやんを射止めるつもりだったら、これぐらいの傷は覚悟しないとね。なんせ元日本最強プロだもん」
「それは麻雀の話だよ?」
「これは新しい二つ名が付くね。唸る豪腕、衝撃の殺人ネイル! とか」
「殺してないよ!」
 彼女との関係は今までと何も変わらないようで、けっこう変わっているところがある。
 実家暮らしから新居暮らしになったので、お母さんに任せっきりだった家事を少しはやらなきゃならなくなったりとか。大体は知っていたけれどより細かいこと、二人の暮らし方の違いに折り合いをつけなきゃならなかったりとか。
 他にも――
「でも、悩殺はされちゃったんだけどね……」
「ん……」
「すこやんも身をもって知ってるでしょ?」
「そんな赤い顔しながら言われても、どっちも恥ずかしいだけだよ……」
 いわゆるそういう意味での夜の際には、水着にネコミミという姿をお願いされたりと、こーこちゃんの意外な嗜好が白日の下にさらされてしまったりした。ネコミミを付けているのは私なのに、ニャンニャンするのは彼女だった。
 私はアラサーと呼ぶにも苦しい年になってしまったけれど、彼女が毎晩求めてくれるぐらいには、まだまだ通用する見た目をしているようだ。賞味期限が切れていないことは幸いだった。でも正直、これまでこーこちゃんが陰の努力で磨いてきたお肌の質の良さ、細かいところまで見えてしまう大型テレビでの観賞にも堪えうる見事な身体を触っていると、自信がなくなってくる。
 比較されたら厳しい違いがあるというのに、彼女は私に夢中だという。
 もしかしたら自分に無いものを他人に求めているのかも知れず、だとしたら甚だ不本意なことだけれど、私に無いものを持っている彼女のことを、私だって大好きなのだから、お互いさまだった。
 彼女は私に足りない輝きをいくつも持っている。それはどうしたって一人では得られないもので、彼女にもまた、足りない輝きがあった。二人分の輝きを合わせることにより初めて完成したのは、さながらひとつの星座。その星座を構成する最も明るい星に、私の恋心という名の星が寄り添い、ひとつの連星を形成した。

 今日も私は、馬車の助手席に乗ってドライブに出る。
 馬を操るのはもちろん、恋い慕う気持ちを同じくして連星になった、私の恒星だ。

<了>

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