咲-Saki-SS『海に沈んだ月ふたり』

 県予選が終ったあとの穏やかな休日。
 今日は龍門渕高校の天江衣が遊びに来るとのことで、清澄高校麻雀部の面々は、清澄から数駅離れたところにある大きな公園にて、小さな来訪者を待っていた。
「染谷先輩の雀荘じゃなくて、どうして公園なのだ?」
 ベンチに腰掛けている優希は口を尖らせて不満をもらす。草木といくつかの遊具しかない公園にはあまり興味がないうえに、この近くには売店はあれどタコスを売っているところはなく、すでに飽き始めていたのだ。
「龍門渕さんの希望でね。天江さんには麻雀以外のことを体験して欲しいんですって」
「ふーん。まるで籠の中の鳥だな」
 常に奔放に生きてきた優希にとって、久の説明はピンと来るものではなかった。
「それじゃますますあのお子様が年上だなんて思えないじぇ」
「人それぞれ事情があるのよ。会ったらそういうこといっちゃだめよ?」
「わかってるじょ。私はそんなに子供じゃないのだ」
 敬慕している久に対して心配無用と言い切るも、何もせずひとつの場所に縛られているのはやはり好きではない。
「こんなことなら、タコスを買いだめしてから来るんだったじぇ……」
 京太郎がいればタコスを買いに行かせたり暇つぶしに使ったりと何かと便利な犬なのだが、今日は用事があって来られないとのことだった。
 いつもはよく遊んでくれているまこも、今日は実家の手伝いで来られない。
「あの二人に交ざるほど、私も無粋にはなれないしな……」
 待ち合わせ場所がなんの変哲もない公園であっても、親友がいれば退屈のおそれはないだろうと思っていた優希の考えが甘かった。
 中学からの親友である和ときたら、公園に着くなり咲と一緒に噴水のあたりに行ってしまい、そのまま籍を入れてしまいそうな勢いではしゃぎあっている。
「優希も行ってきていいのよ。待ち人が来たら呼ぶから」
「遠慮するじょ。あんなピンク色オーラの中に入ったら、あっという間に髪の毛がピンク色になってしまうじぇ」
「そうね。もう結婚しちゃえばいいのにね」
「……なにいってるんだ部長?」
「あなたに常識的な反応をされる日が来るとは思わなかったわ……」
「部長、それはひどいじぇ……」
 咲と和は十五歳なので、この国の法律ではまだ結婚できないのだ。
「あら? 来たみたいね」
 公園の入り口のほうを見て、久が待ち人の訪れを告げた。
 優希も見てみると、遠い景色のなかに数人の姿が見えた。
 そのなかでひときわ高い背丈のノッポは、忘れるはずもない優希の天敵である。
「なんか多いじぇ?」
「龍門渕の家は良家らしいから、お付きの人かしらね。優希、咲たち呼んできて」
「あーい」

 咲と和を連れて戻ると、間もなく本日の賓客が勢ぞろいした。
「改めて名乗る必要もないと思いますけれど、わたくしが龍門渕透華ですわ」
「ボクは国広一。透華付きのメイドだよ」
「オレは井上純だ。暇だったからついてきた」
「沢村智記。たまには外出もする……」
「す、杉乃歩です。透華さまのメイドです」
「執事の萩原と申します。紅茶でもいかがですか?」
 敵チームとして相対した四人は覚えているものの、あとの二人は優希の記憶にはなかった。
「お付きの人が三人も来てるんだじぇ?」
「わたくしは衣と二人で来るつもりだったのですけれど……」
 優希の素朴な疑問に、透華がややいいづらそうに答える。
「透華が行くところには当然ボクも行くよ」
 一はいいながら透華の隣に一歩近寄った。
「わ、私もお嬢様のメイドですから、……ひっ!」
 一と同じく透華との距離を縮めようとした歩が、一の視線に気付いて怯んだ。
「まあ、なんか面白そうだし」
 純が快活な笑みを浮かべながら、その白い歯を光らせた。
「運動不足だから……」
 智記が歩数計を取り出した。
「緑茶のほうがよろしいですか?」
 ハギヨシがどこからともなくミニテーブルを出して、お茶の準備をし始めた。
「なんだか、個性的な方々ですね……」
 和が呆気にとられていた。
「あれ? 衣ちゃんは?」
 決勝戦で激戦を繰り広げた相手がいないことを咲が指摘して、優希はようやく主賓がいないことに気が付いた。優希はタコス不足が深刻で、本日の目的は正直もうどうでもよくなっていた。
「そういえばお子様がいないんだじぇ」
「誰がお子様か、愚昧めが」
 罵りの言葉と共に、赤いウサミミ風のリボンが透華の後ろからぴょこんとのぞいた。
 続いて現れたのは、小柄な優希よりもさらに小さな体躯の少女。
「こんにちは、衣ちゃん」
 咲が優しく微笑んで挨拶をすると、衣は目を輝かせて口元をゆるませた。
「咲、来たぞ!」
 透華のもとから咲のもとへと、軽快な足取りで駆けていく衣。咲に抱き止められるその様子は、さながら幼稚園に迎えに来た姉に対するそれであった。
 和もほんわかした表情でそれを見ていたが、それは衣を子供として見ているからこその余裕だろう。もしも衣が年上のお姉さん系クールビューティだったなら、あるいは戦争が勃発していたかもしれない。
 つまり衣は、誰が見てもお子様ということなのだ。
「改めて見てもお子様だじぇ」
 優希は思わず呟いた。
「なんだと。お前、歳はいくつだ」
「十五だじょ」
「衣より年下で、しかも童体はお前のほうではないか」
「だって名前も子供だじぇ?」
「子供じゃない、衣だ」
「子供ちゃんだじぇー」
「子供じゃない! 衣だ!」
 もはや敵意をむき出しにして憤る衣に対して、優希は挑発をやめることができなかった。このような相手は久しく会ったことがなかったからだ。
 比較的おとなしい人物しかいない清澄の面々には決して期待できないものが衣にはあった。遠慮なく攻めては攻め返す、好敵手のような闘争心。
 これまでの退屈の分ぐらいは、十分に楽しめそうだった。
「来いよロリータ、甘えなんか捨ててかかってこい」
 優希はダンスのステップを踏むように下がって、衣を誘う。
 優希にはダンスの経験などない。だが、身体の奥に秘められた野性が自然と足を動かしていた。優希のような小さく弱々しい生物を狙う狡猾で卑劣な敵を逆に獲物と定め、狩る直前に行う幻惑の動作。己に牙を剥く大型獣を惑わし、喰らい、絶望のなかで捻じ伏せる。それは、遺伝子に刻み込まれた勝者の舞である。
「この……小娘が!」
「おっと、そんな拳じゃハエも叩けないじぇ」
 衣が振り回した腕を、優希は直前でひらりとかわす。麻雀では大きく差がつくかもしれないが、衣の体はどう見てもお子様である。同じ幼児体形とあらば、これ以上舐められるわけにはいかない。同族のなかでは遥かに自分が上であることを、この機会に思い知らせておく必要があるのだ。
「私をやりたければ、ついてくるんだな坊主!」
 優希は一歩二歩と下がって衣と距離をとり、背を向けて駆け出す体勢をとった。
 獲物を誘い込む場所は、公園のどこまでも。
「塵芥がー!」
 怒りに震える衣が、その細い脚で追走の一歩を踏み出した。
 周りの者が止めることはなかった。これも体験の一環ということなのだろう。
「まあ……今日はよろしくお願いしますわ」
「ええ、こちらこそ」
 優希と衣がその場を離れようとしていたとき。
 透華と久は、優希たちを見ながら苦笑していた。

 深緑と陽光の遊歩道をしばらく走ると、衣のペースは数分も経たないうちにみるみる落ちていった。
「はっ、はぁっ…………じ、んかい……め……」
 体力はあまりないのだろう。優希がいくら速度を緩めたところで、もはやついては来られない様子だった。
「やれやれ、だらしのないお嬢様だじぇ」
 優希は足を止めて、衣を待った。
「な……情けをかけたな……と、年下のくせにぃ……」
 先ほどの勢いはすっかり影を潜めており、叩こうとする気力は微塵もないようだった。
 優希は衣の呼吸が落ち着くまで、そのふらふらの体を支えていた。
「年下年下いっても、やっぱり大して変わらないじぇ。おっぱいも無いに等しいしな」
「何をっ、衣のほうが大きいぞ」
「嘘をつくのはどろぼうの始まりだじぇ? 明らかに私のほうが大きいじょ」
「嘘はお前だ、こんなに小さいくせに!」
「ひえっ! い、いきなりつかむな!」
「す、すまない……」
 衣につかまれた胸を両腕で庇いながら、優希は不敵な笑みを浮かべた。
「どうやらどちらも自分の肉体に自信があるようだな」
「いや、衣はそこまではいってないけど」
「こうなったら、どっちが大人になっているか勝負するしかないな」
「大人、勝負だと?」
「腰抜けと呼ばれたくなければついてくるんだなモニーク」
「ふふん、それで衣の興懐を激成したつもりか。いいだろう、二度と立ち直れぬよう摧滅してやる」

 しゃがめば姿が見えなくなる程度の茂みに隠れて、優希は衣の上衣の肩紐を下ろして、その素肌を夏の外気にさらしていた。未成熟な薄い胸と、白い腹部があらわになっている。
「ふむ、すべすべした若い肌だじぇ。子供ポイントを加算だな」
「お、おい、ちょっと待て、その採点方式は公正なのか?」
 衣が羞恥に耐える表情で、抱いた疑念を口にする。
「いま考えたとってもフェアなシステムだじぇ。覚えておいて、あとで私にも適用すればいいだけなのだ」
「そ、そうか……んっ」
 見るだけでは大きさがわからないほど小さな胸を、優希は触って確かめる。
 ほんのり隆起した柔らかいそれは、優希のそれと変わらなかったが、触ったことのあるどんなものよりも心地よい感触があった。
「これは……」
「な、なんだ? ……ふぁんっ!」
「今の声で大人ポイント加算だな」
「あ、あんまり触るなぁ」
 とろけるような恍惚の表情と涙を浮かべる衣に対し、優希は今まで感じたことのない高揚感を覚えていた。体中を未知の熱さが荒波のように巡っている。
(私はいったいどうしたんだじぇ、こんな子供に……)
 欲望が求めるものが変化している。あれほど大好きだった和の感触が思い出せない。思い出す必要がない。それほどまでに今の優希は衣の肉体に囚われている。
「はぁ、は……んんっ……あ、ああ……」
 抑えられない衝動があった。激しくうねる、悪意のような欲望。
 優希は自分でも気付かぬうちに、衣の幼い果実にしゃぶりついていた。
 ついさっきまで両手でいじらしく抵抗していた衣も、今では優希を抱きしめるように受け入れている。その従順な反応の変化が、優希の理性をさらに原始の時代へと戻してしまう。
「衣」
「う、うん……?」
 優希は衣の名前を呼ぶと、唾液で濡れそぼった唇を衣の耳元に寄せた。
 両手は素肌を愛撫したままで、吐息を絡ませながら熱く囁く。
「すごく、かわいいじぇ……」
「っ……!? き、きさま……きさまぁ……!」
 衣の押し殺した声が徐々に艶を帯びていることを、優希は本能だけで知覚していた。

 優希の理性がもとに戻る頃には、衣は草の上でぐったりとしていた。
「はぁ……はぁ…………」
 肩で息をしているそんな衣を見ながら、優希はもう一度抱きしめたい衝動に駆られていた。
「衣……」
 優希が名前をつぶやくと、衣は火照った顔で優希を睨みつけた。
 限界を迎えて間もない体をやっとのことで起こした衣は、抵抗しない優希の体を覆いかぶさるように組み伏せた。
「次は……お前の番繰だろう」
 勝負のことなどすっかり忘れていた優希だが、衣はそのことをいっている風ではなかった。
 まるで、優希が感じていた高揚を、衣も感じていたという風に。
 その目は執着と嗜虐の色に染まっており、先ほどの優希と同じく、衣も優希に囚われているようだった。
 だが、年上らしい、あるいは年上らしくもなく、どこか躊躇いが生じているようにも見えた。
 だから優希は衣の頬に手をやって、優しく撫でさすりながら囁いた。
「衣、愛してるじぇ」
「ば、ばか……、邂逅して一日も経っていないだろうが」
「時間が愛の栄養なのかい? そんなだから坊やは坊やなのさ」
「この……この減らず口、今すぐ黙らせてやるっ」
 口でいうほど気勢のなかった衣は、二人の影を引力で重ねて、優希の唇をぴたりと塞いだ。
 頭を抱いて、互いの時を手のひらで止めて。二人とも慣れていない、息苦しいくちづけ。
「ぷはっ」
「はぁっ」
 放したときには二人とも、海底からすくわれたばかりの月のようだった。
 星と海を見るように視線を合わせながら、優希はおもむろに口を開く。
「私のことは嫌いか?」
「そ……そんなことは…………」
 衣は視線を幾度か逸らしながら、「……ない」と拒絶の意思を否定した。
 その言葉をとても嬉しく感じた優希が微笑むと、衣の手が少しだけ震えながら優希の衣服にかけられた。
 ゆっくりと肌色を増していく優希の体を、衣は舐るように見ていった。
「意馬心猿とはこのことか……」
 そして焼けるように熱い息を吐きながら、小さな舌先をそっと腹部に近づけた。
 優希は傍らに落ちた衣の美しい髪を触りながら、彼女の戯れを待った。
(こんな気持ち、初めてだじぇ……)
 優希は今このとき、生まれて初めての幸福を、確かに感じていた――

 優希と衣は行為を終えて、着衣の乱れを直していた。
「こんなことは、初めてだ」
 衣はまだ快楽に潤んでいる瞳で、無垢な微笑みを優希に向けた。
(か、かわいいじぇ……)
 優希はそんな衣を直視できず、目を逸らして「そ、そっか」と適当な返事をした。
 いまだお姉さんには見えないものの、以前のような子供にも見えなくなった衣のことを、優希は今になって強く意識するようになってしまったらしい。
 もうきっと、愛してるだなんていえやしないだろう。本当に、衣のことを好きになってしまったのだから。
「あ、あのさ、お前、お前の名前は?」
「ん? 優希だじぇ」
「ユーキ、ユーキか。ユーキ。ユーキ」
 片方が名前も知らない関係だったなんて、とても滑稽だ。でも名前を知ったときに、これだけ嬉しそうに連呼してくれるというのも、普通の関係では味わえないことだろう。
「ユーキ」
「なんだじぇ」
 衣があまりに嬉しそうに優希の名前を呼ぶので、視線は合わせないながらも応えてみた。
「あの、ユーキが十六になったら、衣と……衣と、結婚してくれ」
「なぬっ!?」
 その顔を見ざるを得なかった。冗談ではなさそうだった。
 衣は優希の裾を掴んでうつむいてはいたものの、表情は恥ずかしがりながらも真面目なもので、いまの言葉を確かに口にした跡があった。
(……ま、いっか)
 今になっては断る理由がないので、優希は承諾することにした。
「よし、いいじぇ。ただし、うちの嫁になるならタコスの作り方は覚えてもらうけどな」
「うん! うん! 衣、いいお嫁さんになる!」
 見なくてもわかる明るい色。花が咲いたような笑顔の衣は優希に飛びついて、ついばむようなくちづけをしてきた。優希は衣を意識しすぎて、抱きしめるのが精一杯だった。

 その後、手をつないでみんなのもとへ戻ると衣は優希の嫁になることを公言し、透華がちょっとしたパニックに陥った。
「衣が! 衣がやってくれましたわー!」
 それからというもの、今までずっと暗い孤独のなかで麻雀だけを拠り所にしてきた衣は、優希のために毎日料理の勉強を続けているそうだ。
 大切な人のためにしたいことがある。その生き生きとした様子に、保護者のような存在である透華も結婚を認めざるを得なかったようで、優希の家には毎日のように「良いパートナーになるため」のハウツー本が送られている。

<了>

目次に戻る