咲-Saki-SS『咲×(和+姉)=エラーが発生しました』

「和お姉ちゃんって、呼んでもいいんですよ?」
 駅近くの喫茶店でそんな世迷い言を口にした同級生を見つめる宮永さんの呆けた顔を、私は一生忘れることができないでしょう。
 いったい何がどうすれば私が宮永さんのお姉さんになれるというのですか。同い年じゃないですか。仮にお姉ちゃんと呼ばれたところでどうするつもりなんですか。言った本人がすでに理解不能じゃないですか。
「のどか、お姉ちゃん?」
 ほら、わけがわかりません。
 困惑した小鳥が首をかしげながら控えめに鳴くようにお姉ちゃんなんて呼ばれても、ちょっと抱きしめてぎゅってしたくなるだけじゃないですか。
 近頃の宮永さんがあまりにもお姉さんのことばかり口にしているものだから、ささやかに妬いてみたはずの焼き餅がこのように詮無い焼き具合になっただとか、そういうことは関係ないんです。どうして私が宮永さんに対してお姉ちゃんと呼ばれたいなどと発言してしまったのか。いえ、呼ばれたいとは一言も言ってはいませんが、誰も考えないようなことを提案するということはそれを希望していることと同義になってしまうのです。
 つまり私はお姉ちゃんと呼んで欲しいなどという恥さらしな願望を宮永さんにぶつけたことで、妹としての彼女を求めてしまったわけなのです。
「今のは何でもありませんから、忘れてください」
 あまりにも滑稽で荒唐無稽な発言でしたが、努めて冷静に、先程の発言は何か深い考えがあってしたのではないかと思わせるように流しましょう。
 とはいえそのような策士の役を演じきるのは容易なことではなく、途中でボロが出てしまう可能性も十分にあります。
 それなら私が一番冷静になれるという、対局中の光景を思い浮かべることに致しましょう。
 麻雀部に入って間もなくの頃、部長に評されたポーカーフェイス。対局中の私は、どうやらそんな氷の仮面をかぶっているようなのですから、この場面でそれを切り札として使わない手はありません。
 イメージするのです。今は対局の真っ最中、オーラスで私がトップ目、宮永さんがラス目。彼女がいくら高い手であがったとしても、私がベタオリして直撃さえ避ければ倍満でも届かない点差がついています。
「和お姉ちゃん……?」
 何かを確かめるようにぼんやりと架空の存在を呟いてから冷めた紅茶に口をつけている宮永さんのことなど、気にせず無視してしまえばなんでもありません。さらには、今このときを流してしまいさえすれば、数時間後にはきっと宮永さんの記憶も薄れて私の失態もなかったことにできるはずなのです。
 だから何を言われても聞き流して場を流すだけ。私はさっそく安牌の白を切っていきます。こんなこともあろうかと保持していた槓材です。最低でも四巡は、国士以外なら絶対に振り込むことはありません。
 この勝負、私がもらいます。
「私だけの、和お姉ちゃん……」
 国士に振り込んでしまいました。たった一言の役満でした。
「な、なんですかそれ。ずるいです……」
 聴くだけでくらくらする、私を独占することにわずかにでも惹かれているような彼女の呟き。そんな小悪魔の誘惑が起こした化学反応によって私の氷の防壁は一瞬で溶かし尽くされてしまったようで、この日私は宮永さんと、戯れとはいえ義理姉妹の契りを交わしてしまったのでした。

 それから四日経った現在でも、宮永さんはときどき私のことをお姉ちゃんと呼んでいます。
 姉妹という間柄になったのだと誤認させられる呼び名の響きがそうさせたのか、私と宮永さんの身体的接触は以前より明らかに多くなっていて、たとえば今、私の腿の上には宮永さんの寝顔が乗っています。俗に言う膝枕です。
 お昼休みになって一緒にお弁当を食べたあと、眠そうだった宮永さんを私が冗談半分で誘ったのがきっかけでした。
 ゆーきと須賀君は先に校舎へと戻ってしまったので、周りにひと気のない今の状況はふたりっきりと言っても過言ではないでしょう。ましてやそれなりに大きな木の幹を背にしているのですから、視界の及ばない角度の目を気にする必要もありません。
 つまり今このとき私は宮永さんに対して、姉としての行為を人目をはばかることなく存分に致すことができるのです。
 とはいえもどかしいことですが、ひとりっ子の私にはそもそも姉という立場が何をすればいいものなのかちっとも見当がつかなくて、ここ数日宮永さんに姉としての扱いを受けたとき、反応に困ってしまうことがしばしばあるぐらいなのでした。
 実のお姉さんとは離れ離れの宮永さん。そんな妹。
 たとえば寂しい妹のそばにいてあげるのが姉でしょうか。
 あるいは迷った妹を導くのが姉でしょうか。
 それとも姉を求める妹を愛でるのが姉でしょうか。
 宮永さんが本当は私のことをどう見ているのかはわかりません。ですが、こんなにも無防備な寝姿を預けてくれる程度には気を許してくれているようですから、私は彼女にとって少しは特別な存在なのだと、ちょっとぐらいは自惚れてみてもいいのかもしれません。
 宮永さんはお姉さんのことが大好きなようですけど、きっと和お姉ちゃんのことも同じくらい大好きですよね。ちなみにお姉ちゃんは妹のこと大好きですよ?
 なんちゃって。
 それにしてもよく寝ていますね。安らかな寝顔がとても可愛らしい。
 小指を差し入れるのにちょうどよいくらい口を開けている彼女の寝顔はどこか幼く、そんな彼女のあどけない頬を、起こさないようにそっと撫でるように触れてみると、幸福というのでしょうか、そんなふわふわとした気持ちが感じられます。
「咲……ちゃん」
 初めて呼んだ彼女の名前。
 呼びなれない親愛の呼称を口にしたことで急激に心拍数が大変なことになってしまった私は、南極大陸に向かって全力で走って行きたくなってしまいました。
 そして海に飛び込んで海底に沈んでしまいたい。
 でも、そうして悶える私の膝の上には、楽しい夢を見ているのでしょうか、目をつむりながら心地よさそうに笑っている妹の姿があったので、私は立ち上がることすらできませんでした。
 本当に無警戒ですよね。
 また、触っちゃいますよ?

 まだわずかにしか経過していないと感じていた時間も、宮永さんと一緒にいるときはいつもあっという間に過ぎてしまっているもので、彼女の短い髪を撫でながらもう数分は経ったでしょうか。
「あ、起こしてしまいましたか?」
 少し、いじり過ぎてしまったかもしれません。宮永さんは体を起こしてしまいました。
 しかし――
「うまうま……」
「宮永さん? ……まだ寝ているみたいですね」
 目は開いておらず、どうやら寝ぼけているようです。
 そんな寝相の悪い宮永さんはそのまましばらくの間、よく聞き取れない寝言を呟いていました。「にゅぁあああ……」だの「……へずにはいりゃれない……な」だの。そして「のど、か……」私と思われる名前を呟いたところでようやく気が済んだのか、再び眠りやすいところを求めるように私の上体に抱きついてきました。
 今度はこの体勢で寝るのかな? と思いながら、少し恥ずかしくもその密着感を嬉しく感じていたのですが、どうも何か違和感があるなと思ったら、宮永さんはなんと私の胸を制服の上から吸っていたのでした。
「ちょ、ちょっと宮永さんっ!?」
 まるで赤ちゃんがお母さんのおっぱいを求めるように、宮永さんは私の制服を口に含んでちゅーちゅー唾液で濡らしています。でも私、母乳なんて出ませんけど……。お姉さんと同じく今は離れて暮らしているというお母さんの夢でも見ているのでしょうか。その手は私の胸にあてがわれ、軽くにぎにぎしています。か、かわいい……。
 でも、あの、どうしたらいいんですかこれ。
 宮永さん、それはお母さんのおっぱいじゃなくてお姉ちゃんのですよ? なんて言っても詮無いことですし。そもそも実際はお姉ちゃんでも妹でもないのでこれは他人が他人のおっぱいを吸っているということで、それって実はえっちなことだったりしないのでしょうか? いえ、それはそれでかまわなかったりするのですが、寝ぼけている様子の宮永さんにはそのつもりは無いようですから恥ずかしいのは私だけということで、いくら周りに人影がないからといってもこれはちょっと心臓に悪いというかなんというか……あっ!
「噛んじゃだめですっ!」
「みぎゃっ!」
 鋭い痛みを感じて思わず突き飛ばしてしまった宮永さんは、草むらに勢いよく後転してしまいました。白い下着が丸見えなところが申し訳なく思います。
「あの……大丈夫ですか?」
 Uを横にしたように見事に二つ折りになってしまった宮永さんの体勢をIへと整え、しどけないスカートを直しながら、どこか打たなかったかを確認します。危険そうなものは周囲に何も見られなかったので特に問題はないと思いますが、嫁入り前の体に傷でも付いたら大変です。何かあったら私が責任を取らなければならないでしょう。
 むしろ今のうちにカッターか何かで、傷のひとつぐらい付けておいたほうがいいのでしょうか。
 ……は?
 私はいったいなんという愚かなことを考えているのか……。宮永さんと出会ってからというもの、どうも私の思いつきは自制が利かなくていけません。
「な、なに? なにがあったの?」
 何が起こったのかわかっていない様子の宮永さんは、複数方向に危険を察知した小動物のようにおろおろとしています。
 そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ、ここに危険はありませんから。突き飛ばしたのは私です。
 などと言えばなぜ突き飛ばしたかの経緯を説明しなければならなくなるので、ここは無難な言葉で流しておきます。
「宮永さんて寝相が悪いんですね」
「え? う、うん……そうかも」
 納得はいっていない様子ですが、とりあえず追求は免れたようです。一部が濡れてしまった私の制服に関しては、この程度ならすぐに乾いてしまうことでしょう。
 余韻は乾いて欲しくありませんけど……なんて。
 今日の私は、どこかおかしいのかもしれません。

 そんな調子の私ですから、放課後部室に集まったところで麻雀に身が入るはずもなく。眠気を催した宮永さんとともに練習対局のメンバーからは外れているのでした。
 それで私たちが何をしているのかと言えば、みんなの対局中、他の誰にも聞こえない距離で密やかに姉妹の語らいをしていたりします。
 本当に密やかに……のはずだったのですが。そんな私たちの会話が聞こえていたのか地獄耳の部長は「あら、咲と和は姉妹になったの?」なんて訊いてくるのでした。さすが地獄待ちを平気でするだけあります。それとも読唇術でしょうか?
 別にバレたところで問題なんて何もないのですが、気恥ずかしくはあるのでみんなの前で訊いて欲しくはありません。
「なんでもありませんから、気にしないで続けてください」
「そう言われると余計気になるじゃない。あ、須賀くんそれロン。チートイドラドラ6400」
「えー、いま染谷先輩が捨てたのじゃないっすか」
「勝たなきゃ意味ないでしょ。はい、これで私が四連続トップね」
「個人戦で咲ちゃんに負けたのが嘘のようだじぇ……」
「あんときゃ後輩かわいさで手加減しとったんかのう」
「失礼ね。私はちゃんと本気で打ったし、あれは本当に咲の実力よ? まあ、麻雀打ってないときの咲はあんな感じだから、ついつい幼い子供のイメージで見ちゃうところはあるかもね」
 部長の宮永さん評に続いてこちらを見る一同。
 私といえば、眠気を訴えながらもなかなか寝付けずにいる宮永さんを、仮眠用ベッドの傍らに座って寝かしつけている最中なのでした。
「こっち見ないでください」
「いや、あんまり部室でいちゃいちゃするのもどうかと思うんじゃが……」
「いちゃいちゃなんてしてません!」
 まったくまこさんは視力が低下して眼鏡が合わなくなっているのではないでしょうか。レンズを通して見えるものがだいぶ脚色されているようです。
「のどちゃん今日はしっぽりしっぱなしだじぇ」
「和も意地っ張りよね」
「オレも和に寝かしつけられたい……」
 冷やかしは放っておいて宮永さんです。
 短い時間とはいえお昼休みにも睡眠をとったというのに、どうしてこんなに眠気があるのか少々不可解ではありますが、とはいえ宮永さんは常識を覆すような超人的な打ち手なのですから、普通の人より脳を酷使しているとも考えられます。ときにはこういった休息が必要になることもあるのかもしれません。
 そんな宮永さんは先ほどの私とみんなのやりとりの間で、すでに深い眠りについていたようです。ベッドに横になってからというものずっと放してくれなかった私の手も、いつの間にか自由になっていました。
 すーすーと健やかな寝息が聞こえます。改めて寝顔を見ると、その柔らかそうな頬がたまらなく愛らしく感じられました。思わずキスをしてしまいそうになりましたが、みんなの目があるので節度を弁えました。
 無理でした。しました。
 デザートみたいなほっぺをいただいちゃいました。
 一応誰も見ていないことを確認してからしたつもりなのですが、終わったあとちらっと横目で見るとその行為は部長だけには悟られてしまったようです。目が合ったことでわかりました。
 特に意識しなくともこちらが見える向きなので、部長に関しては仕方がなかったのでしょう。いちゃいちゃなんてしていませんが、とはいえ今のは決して部室でするようなことではありませんからさすがに注意されるかと思いました。けれどその場では何も言われませんでした。
 ただし帰り際には「けっこう大胆よね」と耳打ちされました。ええそうですね。実に若気の至りです。思い出したら階段から故意に転げ落ちたくなるぐらい恥ずかしくなりました。

「最近原村さんと一緒にいると、なんだか眠くなるんだ」
 翌日のお昼休みにも宮永さんはそう言って、私の膝で眠り始めるのでした。
 私と一緒だと眠くなるというのは、いったいどういうことなんでしょうか? 私から何か眠くなるような匂いでも出ているのか、それとも私の顔を見るだけで眠くなる条件反射だったりするのか。
 思えば、私が見る宮永さんが常に眠そうな様子になったのは、私が妙なことを言い出した日からだったような気がします。まさか私がお姉さんの代わりになることが、宮永さんに何らかの影響を与えているというのでしょうか。
 仮にそうであったとしても、私個人の感情としては改善の必要性をあまり感じないのですが、練習もままならない今の状態では麻雀に関しての問題はとても大きいのです。そしてそれは私だけの問題にあらず実にゆゆしきことですから、私に原因があるのであれば出来る限り速やかに、どうにかしなければなりません。
「ののかおねーちゃん……」
 私のことを姉と呼び、眠そうな目をしながら手を握る宮永さん。大変可愛らしい仕種ではあるのですが、これではまるで、赤ちゃんの頃に戻ってしまったかのようです。だとしたら、再び今の宮永さんまで成長させるにはどうしたらいいのでしょうか?
 考えてみるも、まったく見当がつきません。
 姉のように愛でては、いけないのでしょうか?
 母のように慈しんでは、いけないのでしょうか?
 こんなに可愛い子を可愛がれないだなんて、どんなオカルトよりもありえないことです。
 それでも、やはり宮永さんのためを思えば、距離を置かざるを得ないのでしょうか……。
 ……ですよね。
 迷う必要……いいえ、こんな大事な時期に彼女の夢を壊す権利なんて、初めから、私には無いのですから。
 そう、当然のことです。
 お姉さんと、お母さんと、お父さんと。宮永さんはまた家族全員で一緒に暮らしたいと言っていました。それを実現するためには全国大会であの宮永照に拮抗、あるいは勝たなければならないのですから、こんな調子のままでいいはずがありません。
 だから。
 彼女のためを思うなら、私は――
「のどか……ちゃん……」
 そのとき、宮永さんは私の名前を呼びながら寝返りを打って、膝の上から落ちては地面に転がってしまいました。私はそれでも眠りから覚めない宮永さんを抱き起こすと、今度は転がることがないように、いつもエトペンを抱くときのように後ろから彼女の体を抱いて座りました。
 抱き寄せる際、彼女のまだ小さく未発達な胸が私の手と腕に触れました。するとその未熟さは私の触覚から全身へと伝わり彼女の幼い部分を脳裏に強く刻んでしまったようで、瞬間たまらない愛しさが雷のように私を襲いました。
 和は、もうだめです。
「そのうち大きくなりますよね。私の咲ちゃん……」
 私は愛娘のような妹の茹だるような可愛さに耐えられず、もはやどうにかする責任など完全に放棄して、ただひたすらに可愛がろうと決意を固めるのでした。
 この先どうなろうと知ったことではありません。
 この子は私の子です。

<了>

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