咲-Saki-SS『キスフレンド』

 日が落ちた部室にて、すでにみんなが帰ってしまっているなか、宮永さんは連日遅くまでパソコンを使っての練習対局をしています。相手が見えないという情報の質の違いにもだいぶ慣れた様子ですが、まだ本人が納得できる程ではないみたいです。
 それにつき合って私も一人練習をしているのですが、時計を見ればもう、帰宅したほうがいい時間となりました。

「宮永さん、もう遅いですからそろそろ帰りましょう」

「うー、でも……」

 名残惜しそうな宮永さん。
 宮永さんはパソコンを持っていません。だから、パソコンを使った麻雀に慣れるためには部室でやるしかないのです。
 でも今日に限っては、部室か自宅に限らないのであれば、他にもできるところがあるのでした。

「それならうちに来ませんか?」

「え? 今から?」

「今日と明日はお父さんとお母さんが仕事で帰ってこないんです。だから遅くなってもいくらでも練習できますよ。もちろん宮永さんの都合がよければですけど」

「行く! 行くよ! 原村さんちにお泊まり、楽しみだなー」

 お泊まり、あ……そういうことになるんですね。
 私としては、あくまで徹夜で練習という意図しかなかったのですが、お泊まりですか……。
 友達が泊まるだけだというのに、その言葉の響きからはなんだか罪悪感のようなものを感じてしまいます。両親には内緒だから、でしょうか。
 ともあれ、今晩は宮永さんと一緒に過ごせるようです。
 隣合った布団で眠ったことは合宿や県予選でもありましたけど、ゆっくり二人だけで過ごすのは初めてのことですから、きっと楽しい夜になることでしょう。

「では時間も惜しいことですし、このまま直接私の家に行きますか? 宮永さんのお父さんには電話で連絡をして」

「うん、そうするね」

「はい、私の携帯を使ってください」

「ありがとう。……これ、どう使えばいいの?」

「あ、それはまず……」

 宮永さんはお父さんに外泊の許可を貰いました。
 宮永さんの家はあまりそういうことに厳しくないのでしょうか。「今日は友達の家に泊まるから」と言うと、特に問題はなく、すんなりと話は終わったようです。
 これが一般的なのでしょうか?
 少なくとも、私の家ではこうはいかないと思います。

 部室を出ると、すっかり暗くなった夜道を二人で歩きます。今日はお天気がよかったので、今晩は月が明々として綺麗です。

「原村さんの家に行くの、初めてだよ」

「そうですね。私も宮永さんの家には行ったことありませんし、そういえばお互い、まだどこにあるのかも知らないんですよね」

「あとで教えるね」

 宮永さんのお家ですか。
 お父さんがいらっしゃるんですよね。うまくご挨拶できるでしょうか……。
 なんて、いま考えても仕方がありませんね。

「あの、原村さん」

 階段を降りながら、宮永さんが心配そうに私を見ています。

「どうかしましたか?」

「階段見える? その、胸で下の方が見えないんじゃないかなって……」

「ああ、大丈夫ですよ。慣れてますから」

「そうなんだ、それならいいんだ。暗いから気を付けわきゃっ!」

 私の心配をしていた宮永さんが階段を踏み外しました。
 比較的急な下りですから危ないです。私が支えなければ怪我をしていたかもしれません。

「お互い、気を付けましょうね」

「う、うん、えへへ」

 宮永さんは照れ笑いを浮かべているのでしょうか。
 支える勢いで思わず抱き寄せて、そして抱き締めてしまった私は、彼女の表情を確認することができません。

「ありがと、原村さん」

 いつの間にか文化の違う国にでも迷い込んでしまったのでしょうか。
 まるでそれが感謝の証であるかのように、宮永さんは私の背中に手を回して、しばらくの間、私たちはぎゅっと抱き締め合いました。
 名残惜しい優しい感覚を手放すときには、彼女の顔をまともに見ることができませんでした。
 ただ、友達に抱き締められただけ。
 そんなことでも私にとっては、とても気恥ずかしいことだったのです。
 ……慣れていないからでしょうか?

 家の扉を開けると電気は点いておらず、誰もいないのだから当然ですが、これに関してはいつもと変わりはありません。私の両親はいつも帰りが遅いのです。
 でも、今日は私の他にもう一人、この家に迎えられる人がいます。
 玄関の電気を点けると、知らない家に来て勝手がわからないからか、少しだけ戸惑っているような宮永さんの顔に明かりが灯りました。

「宮永さん、ご飯にしますか? お風呂にしますか?」

「あ、うん、晩ご飯、一緒に作ろ」

「そうですね、そうしましょう」

 まずはご飯だそうです。
 遅くまで部室に残っているのですから当然でしょうか。
 私もお腹が空きました。

 エプロンをかけて、二人でキッチンに立ちます。
 うちのキッチンは二人で調理をするにも十分に余裕のある広さではあるのですが、ときどき肩が触れ合うことぐらいはあるのでした。
 エプロン姿の宮永さんの、肩に気を取られてよそ見をしていたせいか、私が作った分は失敗して焦げてしまいました。
 そんなわけで半分は失敗作という、風味に欠ける晩ご飯でしたが、宮永さんは私の作った料理を口に入れると「美味しいよ」と言って微笑んでくれるのです。
 確かに少し焦げた程度であって食べられないほどではなかったのですが、宮永さんは私が作ったそれらを無理してでも平らげてくれそうな様子でしたので、私が作った分は途中でお皿を下げてしまいました。これぐらいでは影響は薄いでしょうけど、焦げた部分というのはあまり健康にもよくないそうですから。
 予定よりも量が少なくなってしまいましたが、初めて食べる宮永さんの手料理を、宮永さんと一緒に食べる晩ご飯はとても美味しかったです。

 ご飯のあとは二人でお風呂に入りました。
 合宿のときにはゆーきも交えて一緒に入ったのですから、宮永さんの素肌を見るのはこれが初めてというわけではありません。
 ですが、二人だけの今夜に見るそのしなやかな背中と水が滴る脚からは、合宿で見たときとはまったく違うものを感じられたのです。
「ね、洗いっこしよーよ」そんな宮永さんの申し出にも私は応えることができませんでした。
 バランスの良いスタイルの彼女には布地の少ない白い泡の水着がよく似合っていて、それがシャワーによって流されて再び美しい素肌がさらされた際には胸の奥にたまらない熱さを感じられて、私の喉は水を渇望するようにごくりと鳴りました。
 そんなふうに、私は湯船に埋まって深くお湯に浸かりながらこっそりと、洗い場の彼女を見ていたのでした。
 別に隠れて見る必要はなかったと思うのですが……不思議と無性にうしろめたかったのです。

 宮永さんの着替えは私が中学の頃に着ていたパジャマ。歯ブラシとコップは買い置きの物を使ってもらうことになりました。
 買い置きの物に関して宮永さんは遠慮しましたが、そこで遠慮されても困ってしまいます。

「じゃあ、私の歯ブラシを使いますか?」

 歯磨きをしないで寝るなんて私が許しませんから、必然的にそういうことになってしまうのですが、友達といえど共用できる物とできない物があるようです。宮永さんは「これのお金は今度払うからね」と言っておとなしく買い置きを使ったのでした。
 私としてはどちらでも構わなかったのですが……。
 以前雑誌で見たことのある、歯の磨き合いというのも宮永さんとならしてみたいと思えたのですが、今回は言いそびれてしまいました。
 ちょっと想像ができませんが割合いい気分とのことなので、次の機会にはお願いしてみようかと思います。
 でも、友達に口の中をじっくり見られるというのは、よく考えてみたらけっこう恥ずかしいことかもしれませんね。私が磨いてあげるだけにしましょうか。

 いつでも寝られる、いつ寝てもいい。つまり夜更かしできる準備が整ったので、ようやく私の部屋に宮永さんを迎えることになりました。

「わぁ、ぬいぐるみがいっぱいだね!」

 私のパジャマを着た宮永さんはフリルに飾られてとても愛らしいです。中学の頃の物なのでさすがに少し窮屈なようですが、今の私のパジャマでは胸の部分がだいぶ余ってしまって見栄えが悪いので……。
 私と宮永さんは体格にはほとんど差はないので今の私の物でも着られないというわけではないと思うのですが、せっかく着てもらうならやはり可愛いほうがいいですから。
 袖と裾はやや短いので本来よりも腕と脚が露出してしまっています。でも今の季節にはちょうどいいかと思います。サイズの合わない服というのも似合う人が着ればなかなか悪くないものですね。

「宮永さん、早速ですけど、パソコン使います?」

「うん、使わせてもらえる?」

 いくら夜更かししてもいいとはいっても、明日も学校があるのですから、宮永さんの本来の目的は早めに済ませておかなければなりません。
 宮永さんがネット麻雀をしている間、私は来客用の布団の準備をしておこうと思いました。
 でも、私がベッドで、彼女が布団。高さに違いがあって、それってなんだか不公平じゃないでしょうか?
 では私が布団で、宮永さんがベッドで寝ればいいのでしょうか……それだと宮永さんの寝顔が見られません。
 私は宮永さんのあどけない寝顔が好きなのです。宮永さんからお泊まりという言葉を聞いたとき、一番期待したこともそれでした。だからその寝顔が見られないというのは残念でなりません。
 いっそのこと、二人ともベッドで寝てもいいのではないでしょうか? 二人で寝られるだけの広さはありますし、それに宮永さんは少し寝相が悪いときがあるみたいですから、一緒に寝れば乱れたタオルケットを掛けなおしてあげることも容易です。そうですね。それがいいでしょう。
 そんなわけで、することがなくなった私は部屋の麻雀卓で練習を開始するのでした。
 ……部室での過ごし方とあまり変わりませんね?

 時刻は午前二時を過ぎ、宮永さんも眠い目をこすりながらパソコンに向かっています。

「うーん、勝てなくなってきたよぉ……」

「今日はそこまでですね。そろそろ休んだほうがいいですよ」

「うん、もう寝る」

 宮永さんがパソコンの電源を落としている間、同じく眠くなっていた私は一足先にベッドで横になりました。

「一緒に寝てもいい?」

 電源を落とした宮永さんが躊躇いがちな様子で近づいてきたので何かと思えば、そういえば寝る場所を伝えていなかったのでした。

「はい、今日はこのベッドで一緒に寝ましょう」

 少し横に動いて場所を空けると、宮永さんが隣に収まりました。二人ともベッドに入ったので電気を消します。
 不意に何か寂しいと思ったら、頭に枕が当たっていないのでした。

「枕も一緒ですね」

 ベッドの広さは十分ですが、枕はひとつしかないので私たちは距離を縮めて寝なければならないようです。ぬいぐるみを枕代わりにするなんてありえません。
 明かりを消したばかりで暗闇に目が慣れていないなか、私は枕を求めて宮永さんの方へと近づいていきます。明かりを消す前に見た彼女の姿勢は横向きでした。私と同じです。使い慣れたシャンプーの匂いがします。慣れているはずなのに、彼女の匂いが加わるだけでこんなにも魅力的な香りになるものでしょうか。こつん。おでこが当たりました。心地よい痛みがしました。

「あ、ごめんね」

 宮永さんの謝る吐息が私の唇にかかります。宮永さんの唇がすごく近くにあることがわかります。少し動けば偶然でも触れてしまうぐらいに。
 そう。偶然でも。偶然に。
 唇に触れるものが吐息ではなく唇になって。

「原村さんて、本当にキレイだよね……」

 その言葉のあと、それはどちらからだったのか。私たちの唇は気付けば重なり合っていて、甘い静寂を楽しんでいました。

 唇にキスしました。
 彼女の方が少しだけ積極的でした。

 頬にキスしました。
 そんな友達が愛しくて。

 額にキスしました。
 愛しい人を求めるあまりに。

 瞼にキスしました。
 愛しさを我慢できなくて。

 そしてまた、唇に何度もキスを重ねました。
 たまらなく彼女を愛したくて。

 こんなことは初めてなのに、まるでずっと前からそんな関係であったような自然さで、でもこの感情は今にも溢れてしまいそうで、それも今はもう、抑える必要もなくて……。
 どうやら私と宮永さんはこの夜に、友達という関係ではなくなってしまったようなのです。
 ではどんな関係になったのでしょうか?
 それはまた今度、二人で考えてみようかと思います。
 全国行きを決めた今となっては、時間はまだ、たっぷりとあるのですから……。

 ――まるで夢のようでした。
 本当に、夢だったのかもしれません。

 朝になり、目覚ましに起こされて目が覚めると、宮永さんの愛らしい寝顔は確かに傍らにありました。
 けれど昨晩のことが夢だったのか現実だったのかは、確認する術はありません。

 でも――

「おはよう、原村さん」

 目覚めを告げた彼女の柔らかい笑顔にはうっすらと赤みが帯びており、そんな熟れ始めた甘い果実に惹かれるように、私は今朝も、彼女と溶け合うようなくちづけを交わすのでした。

<了>

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