咲-Saki-SS『お嬢様の徒花』

「はじめも浴衣を着てくればよろしかったのに、持ってないならすぐに用意させましてよ?」

「いやぁ、ボクは布面積の多い服は苦手だから、これでいいんだよ」

「その服のほうが目立ちそうではありますけど、その……色々と見えてしまいませんの?」

「これはこう見えて綿密に計算されて作られた服だからね。どの角度でもそう簡単には中が見えないようになってるんだ」

「つくづく、不思議ですわ……」

 透華は今まで何度も見てきたはずなのに、この格好ってそんなに気になるものなのかな?
 通気性がいいし動きやすいから好みってだけで、ボクから言わせれば他の人の格好のほうが布面積が多過ぎるんじゃないかと思うぐらいなんだけど。
 好みって、本当に人それぞれだよね。

「それにしても、小規模だけどさすがに人が多いね」

「ギャラリーが少なくてはわたくしのこの優美な浴衣姿がもったいないでしょう? 目立つためにはこうでなくては」

「そ、そうだね」

 地元の花火大会に行きますわよ! なんて言い出したときには透華って意外と庶民派のお嬢様なんだなって思ったけど、やっぱり透華は透華だった。わざわざそのために出向いて来るだなんて……。

「冗談、ですわ。わたくしだってたまには慎ましやかな花火を見たくなることだってありますのよ」

「そうなんだ? そうだよね。でも、なんだか意外だよ。花火を見るにしても、透華ならもっと大規模で派手なところに行くかと思ってたから」

「わたくしはどこかのデジタル一辺倒人間とは違いましてよ。人間らしい風情も重んじますの」

 どこかのデジタル一辺倒人間とは、透華のことだからきっと原村和のことだろう。
 先月の県予選で、透華はその原村和に負けて、そして大将である衣も負けて、今年の龍門渕は予選落ちという結果に終わってしまったけれど、負けず嫌いな透華にしては大変珍しいことに、負けたことに関して彼女はそれほど気にしてはいないようだった。
 理由はなんとなくわかる。
 それはたぶん、衣に友達ができたからだと思う。
 近付こうとすれば傷を負ってしまう、まるでハリネズミのような衣と楽しく遊べる子が、ようやく見つかったんだ。
 透華は一見すると高飛車で嫌味なお嬢様に見られがちだけど、実際はとても優しくて情にも厚い。
 もしもあのときウチの勝利で終わっていたのなら、衣はきっと今でも孤独から抜け出せなかっただろう。ボクたちでは衣の、閉ざされた心の扉を開く鍵にはなれなかったから。
 目立つことにかけての情熱は人一倍な透華。だけど、大切に思っている人のためなら、負けることも最善の結果だったのだと割り切ることもできるらしい。
 ただのお嬢様ではなく、やはり透華は普通と違う、非凡な高潔さを持っている。
 強くて、優しくて、ちょっと玄人向けだけど。
 さすが、ボクのご主人様だ。

 七月の気温のわりには涼しげな、敗退の遺恨を少しも引きずってはいない晴れ晴れとしたその横顔を見上げながら彼女のことを思っていると、視界の端に天へと昇る光が見えた。

「透華、――――」

 周囲の歓声と破裂音。ボクの声は、打ち上げられた花火によってかき消された。

「はじめ、何か言ったかしら?」

「ううん、なんでもないよ。花火、キレイだね」

「ええ、そうですわね」

 続いて数多の鮮花が乱れ咲く。
 夜空に煌めく星の精霊たちが舞い踊るかのように、光が黒に流れて消えてゆく。
 透華と一緒に見るそんな星空は、お屋敷に連れて来られる前よりずっと、綺麗に見えた。

「ねえ透華様」

「はじめ、お父様のいないところでその呼び方は」

「今は、こう呼びたい気分なんだ。透華様が、すごくキレイに見えるから」

「そ、そう……それなら、好きになさい」

 おせっかいで強引な透華だから、愛することには慣れていても、愛されることには慣れていない。
 立場上、敬意や羨望には慣れていても、好意を向けられるとすぐに狼狽してしまう。
 そんなところがたまらなく愛しくて、気付けばボクの心は、君という存在に縛られていたんだ。

「その髪型、似合ってるよ、透華様」

 今日の透華はそのゆるやかに波打つ長い髪を、浴衣に合わせて高くまとめている。
 いつもなら見えない襟首の後れ毛が透華本来の気品をもたらしていて、大人っぽい、しっとりとした雰囲気を漂わせている。

「……やっぱりメイドでないときのはじめにそう呼ばれると、こそばゆいですわ……」

「ボクもちょっとは恥ずかしいよ」

 だって、これは特別な呼び方で。
 義務なんかじゃない、本心からの忠節の証だから。

「恥ずかしいなら、おやめなさいよ」

「透花様が嫌ならやめるよ?」

「別に、嫌というわけじゃありませんけど……」

「冗談。ボクは透華が困るようなことはしないよ」

「からかうのは困らせるうちに入りませんのね」

「そういうときの透華が可愛くって、つい、ね」

「な……何をおっしゃいますの……もう」

 こんなふうに君と戯れることができる時間は、至福の欠片。

 それからボクたちは、他愛のない話を交わしながら、空に散る徒花を楽しんだ。
 咲いてもすぐに散ってしまう儚い花。
 あれはボクと透華、どちらかの想いの行く末なのかもしれない。
 あるいは二人ともの……。
 でもね透華。
 あの日、君がくれたあの鎖は、君をつなぐための鎖でもあるんだ。
 ボクが透華のモノである限り、透華はボクのモノでもある。
 君がくれた主従の絆で結ばれている限りは、ボクはずっと、君の傍にいるから。
 ボクだけはずっと、君の隣にいるから。
 いずれみんなが、別々の道を歩む時が来ても、ね。

「みんなも来ればよかったのにね」

「ええ。でも、ともきは何か作業があるとかで、衣は遊び疲れが残っていておねむ。純は歩と約束があるとか言ってましたわね。衣はともかく、なんとも付き合いの悪いことですわ」

「純たちは内緒でここに来てたりしてね」

「どうかしら? 内緒にする必要もないでしょう」

「そう、なんだけどね」

 ボクのご主人様の難点を挙げるなら、ある感情の機微に疎いところ。それと、原村和にお熱が過ぎるということだろうか。
 県予選が終わったあと、帰り際の原村和に熱烈に追いすがってケータイのメールアドレスを交換するぐらいの追っかけぶりで、そしてそのときに撮らせてもらった――というか勝手に撮った写真をケータイの待ち受け画面にしているぐらいあの子に夢中になっている。
 当人は「負けた悔しさを忘れないためですわ!」とかなんとか言ってたけど、本当は、ただ単にあの子の写真が欲しかっただけなんだと思う。そのことは、時々メールチェックを装うように何をするでもなくケータイを開いたときの表情を見ればわかる。それでも、透華自身はいまだに、ただのライバルだと思い込んでいるみたいだけどね。
 原村和とのどっち。大会前には確証のなかった次元違いの同一人物。その片方であるのどっちに対する透華の執着は、以前から異常ともいえるほどだった。そしてその正体ときたら、ひとつ年下の、しかもあれだけの美貌を持つ可憐な少女だったんだ。
 実際に打ち筋を見て同一人物だと確信したとき、特別な感情が芽生えないほうがおかしかった、ともいえる。
 でも、それだけ熱心に見ておきながら、あの子の熱っぽい視線の先にいるのが誰なのか全く気付いてないってことには少し呆れちゃうけどね。なんとかは盲目ってやつかな。

「ねえ、透華は誰かを好きになったことってないの?」

「なんですの藪から棒に」

「最近よくそういう話を聞くからさ、透華にもそういう人がいるのかなって」

「そうですわねぇ……」

 透華が悩むような素振りを見せてしばらく。

「そういえばわたくし、そういったことは考えたこともありませんでしたわ。縁がなかったのかしら?」

 その言葉にボクは、苦笑するしかなかった。
 でもそんな微妙にずれてるところも含めて、ボクの透華なんだけどね。

<了>

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