咲-Saki-SS『マイベストフレンド』

「原村さん、仮眠室には行かないつもりだったんじゃ……?」

 戸惑う宮永さんの手を引いて控え室を出ると、間もなく、大声をあげて泣くゆーきの声が聞こえてきました。

「ゆーきは気が強い子だから……同い年の私達の前では大泣きできないと思ったんです」

「そっか……京ちゃんは買い出しだから、残るのは先輩達だけだもんね……」

 いくら開始前にトラブルがあったとはいえ、まさかゆーきが、終始あれだけ翻弄されるとは思ってもみませんでした。
 寝不足という状態で挑もうとしていたなど。正直なところ、私は、相手を侮り、油断すらしていたのかもしれません。

 流れ、と呼ばれるものを本当に認識しているかのように、不可解な鳴きで他家の手を潰していた龍門渕の人。

 集中しているときは私でも苦戦することのあるゆーきを、まるで人形を操り、手駒のひとつにするかのように場を制していた風越の人。

 どちらも故意に行っているとは信じがたい打ち方ですが、いずれにせよ、県予選の決勝は思っていた以上に手強いということなのでしょう。
 先輩達の応援をしなければ、という気持ちもありますが、睡眠不足などで集中力を欠けば、優勝はきっと、さらに難しくなると思います。
 控え室を出たきっかけこそゆーきのためでしたが、もしかしたらこれは、試合に勝つために必要なことだったのかもしれません。
 そんなことを考えながら仮眠室への通路を歩いていると、ふと、部長の言葉を思い出しました。

「宮永さん。仮眠室に行く前に、二階の喫茶店に寄っていきましょう」

「え、どうして?」

「バナナと乳製品を一緒にとると、脳が活性化するそうですから」

「ああ、それ、部長が言ってたことだよね」

「はい。昨日は部長の試合が予想よりも早く終わったので、行きそびれてしまいましたし」

「でも、今から食べてると、原村さんが眠る時間がなくなっちゃうんじゃ?」

「あ……」

 確かに私たちの出番まで、宮永さんにはまだ七時間以上ありますが、私にはあと五時間程度。
 今回のように目的がはっきりしている食事であればそれほど時間がかかるはずもありませんが、これから始まるのは絶対に負けることができない試合。
 ベストな状態にしておくために、できる限りのことはしておきたい。
 それは睡眠時間も同じこと。

「どちらかといえば、効果が確実に得られる睡眠を優先すべき、でしょうか……」

 こうして考えている時間すら惜しい状況なのですが……。

「じゃあ、ひとつだけ頼んで一緒に食べようよ。それならそんなに時間かからないと思うし」

「確かにそれなら……。そうですね、そうしましょう」

 宮永さんの提案により、喫茶店では一人分の食べ物を頼むことにしたのでした。

 ▽

 会場内にあるとあってか特別な特徴はなく、茶色を基調とした、あまり飾り気のない落ち着いた雰囲気の喫茶店。
 オレンジの照明に照らされたテーブルには注文したバナナパフェが乗っています。
 バナナと乳製品が一緒にとれて、食べるのにそれほど時間がかからないメニューといえばこれぐらいしかなかったのです。

 いえ、ちょうどよいものがあったと言うべきでしょうか。

 冷たいガラスの容器の中には一口サイズに切られたバナナがぎっしり。隙間はアイスで埋められており、最上段には生クリームがたっぷりで、その上にはひとつだけのチェリーが乗っています。そして、他よりも大きめに切られた三つのバナナが容器の縁を囲むように立っているという構成。
 バナナと乳製品。一品注文するだけで目的が十分に達成できる、いいメニューなのかもしれません。
 それはいいのですが……。

 パフェはひとつ。

 スプーンは、ふたつ。

 これは……。

 対面の席に座っている宮永さんを見ると、特に気にしている様子はなく。

「おいしそうだね」

 早速、銀色のスプーンが生クリームをすくって、彼女の小さな口の中へと入っていきます。
 スプーンをくわえたその唇から目が離せず。
 どうしてか、私の小指が落ち着きませんでした。

「原村さん、食べないの?」

「――え!?」

「ど、どうしたのそんなに驚いて」

「い、いえ、なんでもありません……」

 ……私は何をしにここへ来たのでしょうか。
 この程度のことで動揺しているようでは、決勝戦でいつも通り打つことなどできるはずがありません。
 勝つためには、冷静でいられないといけないのです。

「わ、私も、いただきます」

 ずっと持ったままでいたスプーンで、大きめに切られたバナナをひとつと生クリームをすくって一緒に口へと運びます。
 一口で口に入れるには、少し大きかったかもしれません。
 でも、甘くて、美味しい。
 なんだか、同じものを二人で食べていると、味覚を宮永さんと共有しているように思えてきて、頬が熱くなってきます。

 宮永さんと……同じ味。

 宮永さん……。

 宮永さん……。

「おいし?」

 ――!?

「は、はいっ」

 いけない。どうしても冷静でいられなくなってしまいます。
 これは先輩達からも指摘されたことだというのに。宮永さんといると、私はおかしくなってしまうのだと……。
 仮眠室に行ってしまえばあとは眠るのみ。そして目覚めれば、間もなく試合が始まってしまいます。
 だから仮眠室に行く前に、弱点は少しでも克服しておかなければなりません。
 そんな考えから、私の弱点のひとつであるらしい宮永さんをじっと見つめていると、そんな私の視線が気になったのか、宮永さんはチェリーを一旦唇にくわえたところでこちらを見たのでした。

「……ん? あ、ごめんね。これひとつしかなかったよね」

「いえ、別にそんなことはどうでも」

「口つけちゃったけど……食べる?」

 ――ドキッとしました。

 今まで、誰かが口を付けた食べ物を口に入れる機会など、一度もありませんでしたから。

 でも、このようなことは、友達同士であればわりと一般的に行われていることなのだと、中学のときゆーきたちを見ていて知りました。
 ここで断ったら、逆におかしく思われるかもしれません。

「……いただきます」

 私がそう言うと、宮永さんはテーブルに片手をついて身を乗り出しながら、白魚のようにすらっとした指で茎を持ち、チェリーを差し出しました。
 中空にてかすかに揺れる、かわいい果実。
 宮永さんが口付けた、まるで照れたように体を染めた、真っ赤な果実……。
 自分でも不思議なぐらい恐る恐る、そして大切に、舌を伸ばして受け取って、口に含みました。
 味は……よくわかりませんでした。

 ふと気が付けば、座りなおした宮永さんが、なぜか、はにかみながら私を見ています。

「どうか……しましたか?」

「う、うん。なんか食べ方が色っぽいなって……」

「――っ」

 思わず、チェリーの種を飲み込んでしまいました。

「そっ、そんなこと……」

「同い年なのにね」

「宮永さんだって……じゃあ、宮永さんも見せてください!」

「わ、私も!?」

 私はやや乱暴にバナナとアイスをすくい、宮永さんにスプーンを差し出しました。
 食べさせてもらうだけというのも、借りを作ってしまうようですっきりしませんし。
 色っぽいという言葉で表すなら、宮永さんだって十分、少なくとも私が見る限りでは、色っぽいのですから。
 その……。
 前を歩いているときに見える健康的な膝の裏とか。
 卓を囲んでいるとき、ついつい見てしまう形のいい鎖骨とか。
 時々、上着の裾がまくれたときに一瞬だけ見える細い腰とか……。

「えへへ、これ、ちょっと恥ずかしいね」

 目を細めて照れ笑いをしながら、宮永さんは私が差し出したスプーンに口を付け、私たちはひとつのスプーンを共有しました。
 口を開けたときに少しだけ見えた小さくてかわいい舌とともに彼女の中へと隠れてしまった私のスプーンは、今この瞬間、きっと宮永さんの舌の温度を感じていて――
 そんな様子を見ていると、なぜか私の舌がくすぐったくなってきてしまい、頬が再び熱くなるのでした。

 ▽

 仮眠室には誰もいませんでした。
 見知らぬ部屋に二人分の布団を敷くと、まるで二人だけで旅行に来たみたいですね。

「あの頃はこんな風に仲良くなれるなんて思わなかったよ」

 確かに、出会った頃の私は宮永さんにきつく当たってばかりだったと思います。思い出すだけで恥ずかしくなるぐらいに、私は宮永さんの力に嫉妬していたみたいですから。
 デジタルと直感。
 麻雀の打ち方はまるで正反対。
 でも、そんな私たちがこの春に出会って引かれたことは、もしかしたら必然だったのかもしれないと、最近思うようになりました。
 磁石のN極とS極が自然と引かれあうように、NodokaとSakiも、引かれあったのではないかと。
 普段、非科学的なことは信じない私でも、このことに関してだけは、少しだけ神様の存在を信じられる気がします。
 不意に、宮永さんの手が、私の手に重ねられました。

「原村さん……がんばろうね」

 私の答えは、声でも頷きでもなく、ただ、手を握り返すだけでした。
 ここではもう、言葉はいらないと思ったのです。
 この温度だけで……伝わると思ったのです。

 二人、横になってつないだ手のぬくもりを、この先もずっと感じているために。
 目が覚めても、私たちが同じ夢を見続けられるように、必ず、全国へ。

 おやすみなさい宮永さん。

 私の……いちばん大切な友達(ひと)。

<了>

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