« いかん、レイコ分が不足してきた | トップページ | あれだけ出番がなけりゃアコちゃんだって心配するわ »

2009年12月 5日 (土)

レイコちゃん久しぶりに姿と声が

今週の怪談レストランですけど。
レイコちゃんの出番があった! ……のはよかったものの、よかった生きてたー! 程度の出番であったので、そろそろレイコちゃんメインの話を一話ぐらいやってもいいんじゃないのかなー、なんて思うんですが、どうなんでしょうか。
まだ、おあずけ……?
あわせて録画しておいた番組終了後の予告を観ても、次回も出番はなさそうだし……。
アコはともかく、ショウ君にはそれなりの出番があるというのに。
ちゃんと出番のあった頃が懐かしいナ。

とはいえ、レイコちゃんの出番こそないものの、お話のほうは意外と面白かったりすることがしばしばというここ数回。怪談レストランのお話は毎週三本立てということで、何が出てくるかわからない闇鍋感がクセになってきている感じで、いいですね。一本は自分の好みに当たる。
おっとやべえもん食っちまったぜ。

今週はデザートが好きでした。
途中までは穏やかなセピア色の話の流れのままに進んでいって、このままいい話で終わるのかな……? と思い始めたところで急展開。約束にない事態、いったい何が起きているのか?
そして答えは明かされることなく……。
この引きがいい。
こういう話って、理解できないことが重要だと思うんですよ。何が起こっているのかキッパリわかってしまったなら、個々人の想像で作られる恐怖がなくなってしまうから。

話は逸れるけど、これって絵と文の魅力の違いでもあると思うんです。

たとえば絶世の美女がいたとします。
それを絵で表現した場合には、イメージがダイレクトに伝わってわかりやすく、描き手の技量によって安定した美しさを他者は見ることができるけれども、美しさのほどはそこに描かれているもの止まりになってしまう。
それはあくまで他人の美的感覚によって描かれたものなので、それが絶世の美女に見える人もいれば、ひどく醜悪な絵の具に見える人もいる。

ところが、絶世の美女が文だけで表現されている場合には、イメージはそこに書かれている情報から各人が自分で心に描きださなければならないわけで、それぞれの美的感覚によって美しさのほどは異なります。さらに、大抵の場合は鮮明には描かれないことでしょう。イメージは曖昧に作られます。
そうやって描き出される美しさは、抽象的なだけに際限がなく、その美しさはどこまでも高みにあるのです。
一人が思い描いたイメージは、もしも他人が見たならば「なんだ、大したことないじゃないか」と思われるようなものかもしれません。
ですが、少なくとも想像者にとっての絶世の美女であることは間違いないのです。

それと同じように、怪談モノで恐怖を与えたいのならば、恐怖の対象は描きすぎないほうが怖いんじゃないかと思うのです。
怖いものって人によって違いますよね?
すべてを見せて、語って、理解させてしまうのではなく、不親切と呼ばれるぐらい想像の余地を残しておいたほうが、各人で勝手に、自身の中のイメージを調整して怖がってくれるんじゃないかなーと……。

ちなみに自分は、まんじゅうが怖いです。
いや、一番怖いのは美少女だ。レイコちゃんの出番がすごく怖い。

怪談モノに怖さって必要ですよね!

|

« いかん、レイコ分が不足してきた | トップページ | あれだけ出番がなけりゃアコちゃんだって心配するわ »