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2009年4月 8日 (水)

咲-Saki-第1話『出会い』の感想

アニメの『咲-Saki-』が始まったが、特に語ることがないぐらい、いい感じの一話だった。
和が咲に抱きつくなど少々オーバーな演出も見られたけれど、そこはまあ原作だってオーバーな表現が見られる作品なのだから、多少オーバーになってもよいのではないかと。
とはいえ一話からあまり関係を急ぐ必要もないとは思う。
理想としては、前半はスキンシップ控えめでじっくりと二人の信頼関係を築いていき、後半からは一話に一回は濡れ場を描……。

『咲-Saki-』は麻雀漫画であるが、アニメでは麻雀の説明が原作以上に少なめなので「わかんない子はパパかママにきいてね☆」状態。「パパー、白中てなにー」「くしゃみだろ」
しかし咲と和の馴れ初めがメインで描かれていたので、最終回でやるであろう咲と和の結婚式が目当てで観ている人にとっては大変満足なデキかと思う。
原作62巻の話は本当によかった。純白のドレスに身を包み、初々しく頬を染めながらも咲をリードしていく積極的な和。もうすぐ誓いのキスというところで爆発と共にタキシード姿のタコスが現れ「のどちゃーん! 私だじぇー! 結婚してくれー!」とチャペルに闖入し和をさらっ――はい、原作最新刊は5巻です。

話数が厳しく制限され、かつ視覚情報の極めて強いアニメという媒体で、美少女揃いの今作が麻雀ばかり描かれていく作りになるとは考えがたい。なので恐らく麻雀部分に関しては要所以外はできるだけ描写を省き、ルールがわからない人でも観られる作りになっていくのだろうと予測するが、『咲-Saki-』の麻雀は個々の心境および感情表現の暗喩になっているような感じがあるので、麻雀を理解できたほうがより楽しめるのではないかと思う。
それに麻雀のルールがわからなければ、和がどれだけおっぱいでイカサマしているのかも理解できないはず。
まあ、原作5巻ではイカサマできるほどのおっぱいが無いにも拘わらず咲たちはイカサマ状態になってるけど。

原作5巻といえば、5巻ではついに1コマも(背景としてすら)出番がなくなってしまった京太郎もアニメの初回にはさすがに出番が用意されていた。
しかしその扱いは麻雀のルールを誰かに訊いて確認するのがメインというような初心者代表的なもののようで。原作1巻では薄くとはいえハーレム化も匂わせるようなポジションだったというのに、まさにモテ期の終焉というか、転落人生というか、百合に抵抗がある人へのクッション的ポジションというか……。
そんな京太郎。『咲-Saki-』という作品に於いて極めて珍しい主役級の「男」という存在であり、百合好きには排斥論を唱えられる存在であり、原作的に考えても正直いなくても全くかまわないだろうという影の薄い不遇な存在ではあるのだが、しかしタコスの可愛さを引き出すための存在としてはわりと重要な役割を担ってはいなかっただろうか?
それらの場面を忌まわしき過去にしてしまうのが惜しくて、自分の中ではタコスは両刀ということに……じゃなくて、タコスは頭が幼すぎてそういったことをよくわかっておらず、テレビなどで得た知識を軽く実行してしまうという無防備すぎる少女なのではないかという、今のところの自分の見解。
つまり京太郎は遊び相手=おもちゃであり、タコスはきっと和が本命なんだ!

何はともあれ、キャプテンが後輩を攻略しまくっている風越女子の登場が待ち遠しい、な。

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